心に残る名文

小説や随筆などを読んでいると、
「これは名文中の名文だな」と思う場面に出会うことがあります。
ありありと情景が目に浮かび、懐かしいものを見るような気持ちになったり、
その世界に引き込まれて、時を忘れたりしてしまいます。
想像力をたくましくし、自在に情景を思い浮かべるのは楽しいものです。
写実的な表現に一幅の美しい絵を見ているような気持ちになったり、
滋味のある文体にしみじみとしたり、
ユーモアに富んだ言葉遣いに思わずほくそ笑んだり、
――そういう文章に出会えることは、本当に幸せなことです。
そのような文章を「心に残る名文」と題して、
ここに紹介していきます。
第31回 国木田独歩『武蔵野』
2025-05-08

この四月から新生活が始まり、私の環境には様々な変化が訪れました。そして皆様にも、変化があった方もいらっしゃると思います。
花々が咲き、暖かさも舞い込んで、陽春を感じさせます。
そのような季節の変化を感じる今日この頃、現在より百年以上も前に、変化によって生じる自然の美しさに言及した作家がいたことを思い出しました。
その人物こそ、国木田独歩(くにきだどっぽ)です。
独歩は自身の小説『武蔵野』において、武蔵野の美について、巧みな表現を用いて語り尽くしています。『武蔵野』とは、関東平野の一部、現在の埼玉県川越以南、東京都府中までの間に広がる地域とされています。一言に「武蔵野の美」と言っても、一体それが何に当たるのか想像できる方はそう多くはないのではないでしょうか。鳥・林・風・野・坂など、武蔵野の自然そのものが、美に該当するのは勿論ですが、独歩がそれらを美として認識した理由には、武蔵野の「変化」という特徴が大きく影響しています。春夏秋冬といった季節の変化、時間や天気の変化、風の強さ、風向、それに伴う林のざわめく音の変化、歩くにつれて野から林、林から野へと景色が移り変わり、はたまた坂も現れる。自然と生活の場が交互に垣間見える景色の変化など、武蔵野には、実に多くの変化が内包されています。
ここで武蔵野の美を伝える有名な一節をご紹介しましょう。
武蔵野に散歩する人は、道に迷うことを苦にしてはならない。どの路でも足の向くほうへゆけばかならずそこに見るべく、聞くべく、感ずべき獲物がある。武蔵野の美はただその縦横に通ずる数千条の路を当もなく歩くことによって始めて獲られる。
(『武蔵野』青空文庫より引用)
武蔵野を歩いていれば、私たちの予想だにしない変化が随所に存在し、それによって武蔵野の美を感じられるという一節です。そんな変化に富み、種々の様相を呈す武蔵野に、独歩は惚れ込んだのでしょう。
さて、ここまで「変化」に着目した武蔵野の美についてご紹介しましたが、武蔵野ほど豊かな自然でなくても、私たちの身近な自然や生活に、変化を感じることもしばしばあります。まだまだ寒さの残る時季、ふと地面に目を落とすと、少し前まで何もなかった路傍に、たんぽぽの花が健気に咲いている。そういった些細な季節や景色の変化であっても、何だか小さな幸せを見つけた気がしますよね。
元気に過ごされている方も、お疲れの方も、ちょっとした時にまわりの「変化」に目を向けて、たまには物思いに耽るのはいかがでしょうか。
小太郎

第30回 いろは和歌【よ】 在原業平「世の中に」『伊勢物語』より
2022-04-06

いろは和歌シリーズ、今回は「よ」で始まる一首を紹介します。
世の中にたえて櫻のなかりせば春の心はのどけからまし
(岩波書店「伊勢物語」)
この世の中に、まったく桜というものがなかったなら、春の人の心はのどかであったことでしょう。
桜を詠んだ和歌の中でも、有名な一首でしょう。『古今和歌集』にも採られています。
『伊勢物語』の八十二段、惟喬親王の別邸である渚の院で「馬の頭なりける人」=在原業平(825年―880年)によって詠まれた歌として登場します。
日本の春の象徴として咲き誇る桜、花盛りにあってもどこか陰りのつきまとう桜、時に怪異を生む桜、あっというまに散っていく桜。
桜にはさまざまな文学上のイメージがありますが、現代の私たちも、無意識にそれらを背負って桜を見上げているのかもしれません。

第29回 いろは和歌【か】 藤原家経「風越の」『詞花和歌集』より
2022-04-05

いろは和歌シリーズ、今回は「か」で始まる一首を紹介します。
信濃の守にて下りけるに、風越の峰にて 藤原家経朝臣
風越の峰のうへにてみる時は雲はふもとのものにぞありける (岩波書店「詞花和歌集」)
風越山の峰の上で見るときには、雲は山の麓のものだったのですね。
風越は歌枕(和歌の題材となる名所旧跡)で、現在の長野県にある風越山のこと。
詞書にあるように、作者である藤原家経(992年―1058年)が信濃の守として任地に赴いた際の歌です。
現在の風越山は、標高1535メートル。「峰」は山頂やその付近のことをいいます。
普段空にあるものとして見ていた雲が麓にあるものとして見えた、という気づきは、その場に身を、または心を置いたときにこそ得られるものでしょう。
福井

第28回 いろは和歌【わ】 参議篁「わたの原」『古今和歌集』より
2022-03-07

いろは和歌シリーズ、今回は「わ」で始まる一首を紹介します。
わたの原 八十島 かけて漕ぎ出ぬと人には告げよ 海士 の釣り舟
(岩波書店「古今和歌集」)
(私は)海原に多くの島を目指して漕ぎ出していったと、人に告げておくれ、漁師の釣り船よ。
小倉百人一首に収められている一首。
「参議篁」は官位による呼び名で、作者の名は小野篁(802年―853年)。
漢詩や書に優れ、政務にも長けた人物でした。
昼は朝廷で、夜は冥府の 閻魔 大王のもとで仕事をしていたという伝説もあり、『 今昔物語集 』などの説話集にもその名が登場します。
この歌は、作者が天皇の怒りにふれ、流罪にあった折に都の親しい人を思って詠んだものとされます。
広い海にぽつんと浮かぶ舟という景色から、作者の孤独と強い念とが伝わってくるようです。
福井

第27回 いろは和歌【を】 藤原頼道「折られけり」『新古今和歌集』より
2022-02-21

いろは和歌シリーズ、今回は「を」で始まる一首を紹介します。
題しらず 宇治前関白太政大臣頼通
折られけりくれなゐ匂ふ梅の花今朝しろたへに雪は降れれど
(岩波書店「新古今和歌集」)
折ることができましたよ、紅の美しい梅の花を。今朝は雪が真っ白に降っていますけれど。
「折る」は現代かなづかいでは「おる」と書きますが、歴史的かなづかいでは「をる」と書きます。
作者は 藤原 頼道 (992年―1074年)。平安時代に栄華を極めた藤原道長の長男で、平等院鳳凰堂を造営した人物です。
梅の花は、まだ雪の積もるころに咲き出します。
梅の紅と雪の白。対照的な色彩が鮮やかな一首といえるでしょう。
倒置法によって強調された梅の花の美しさ、清らかさが印象的です。
福井
