スタッフblog「季の風」
発達するプログラミング教育
2023-07-28
GIGAスクール構想が進み、プログラミング教育やタブレット端末配布が行われるようになっている。4年前、大学の授業で小学校へ行った際にScratch*1の授業を見学した。「進む」「右へ向く」「ここからここまで繰り返す」、そういった指示ブロックを使ってキャラクターをスタートからゴールまで進ませるのが目的で、子どもたちはゲームをしているように楽しんで取り組んでいた。
令和2年に改訂された小学校プログラミング教育の手引(第三版)によると、先に挙げたキャラクターの移動だけでなく、その移動の軌跡で正多角形などの図形を描写したり、都道府県の特徴を設定して絞り出す操作や、身近なプログラムの組み込まれた道具について解析をしたりすることが想定されているようだ。その活動は、今までの学習内容と絡んでいて、詰め込みの知識よりも柔軟な思考力を育むことが目指されているようだ。
ふとこんなことを思い出したのは、先日パソコンのデータを整理している際、高校時代に作ったUnity*2の作品が出てきたからだ。一緒に取り組んだ仲間5人で、何も知らない状態からはじめて、エラーを繰り返しながら1年で作り上げたものだ。たった1文字打ち間違えればエラー、無限ループを起こせばフリーズで頭を抱え。変数名のセンスでメンバーと喧嘩、物体の当たり判定の設定ミスによる奇怪な挙動で爆笑。多くの思い出と学びが詰まっている。コンピュータは指示したことは正確にやってくれるが、それ以上のことはやらないし、指示の意味が分からなければ動いてもくれない奴だ。その指示の方法は自由で、自由だからすれ違いの原因となった。例えば画面上にクリックに反応するボタンを設置するとしたときに、どの指示を使うのかを互いに報告しなかったので統合した際に問題が生じた。自分だけではなかなかうまくいなかったキー入力の受付も早く頼っていれば1週間前に解決できていた。きっと今の子どもたちも似たような経験を通して、指示に大切なものは何か、チームでの活動において報告や相談がどういうものか、そしてコンピュータで何ができるのか。そういったことを学んでいるのだろう。勿論チームでの活動とは、コンピュータを使うものだけを指してはいない。学校での活動で言うならば掃除や話し合い、新聞づくり等も報告・相談が活かされる場面だ。
他にも高校時代に私はProcessing*3やScratchで正多角形やルーローの三角形といった図形描写や、ExcelVBA*4とScratchを使いながらクイックソートやマージソート等のソート*5についても学んだ。ツールは異なるが、どうすればできるのか、完成品の特徴を解析し、小さな指示を組み合わせ、目的を達成するための大きな指示を考えるというプログラミングの醍醐味はどれも共通で、とても楽しかった。今では、ツールやオープンソースの発達により、誰でも目的に応じた学習や、発明ができる時代になっているのは素晴らしいと思う。
今後書店では国語・算数・理科・社会・英語の棚に、自然にプログラミング学習の本が並ぶのだろうか。今後の学校教育では、これからの世界で活躍するために、コンピュータを活用する力やチームで活動する力の発達に期待しよう。
*1 ブロックをつなげるという視覚的な操作で利用できる、プログラミング教育の初期でよく扱われるアプリ。
*2 3Dゲームの開発に特化したゲーム開発プラットフォーム。
*3 プログラミング言語を用いての視覚的な表現が可能なアプリ。
*4 Excel上で動作するプログラミング言語。
*5 数字などのデータを並び替えること。並び替え方の種類も様々でクイックソートやマージソートはその一種。
巡
革と傷痕
2023-05-10
学生時代、誕生日祝いに友人から革の財布をいただいたことがきっかけで、革製品を少しずつ買い集めている。
しっとりとした手触り、独特の芳香など、心惹かれる要素は多々あるのだが、私にとって革製品の一番の魅力は、「育てる」ことができる点である。
天然皮革には、人の手による手入れが必要だ。
革は乾燥すると傷みやすくなり、ひび割れを起こすこともあるらしい。それを避けるために、クリームを塗って油分や水分を補ってやる。人間の肌と同じだ。
手入れをしながら使い込んでいくと、徐々に見た目や質感が変化してくる。革が柔らかくなって手になじんだり、色に深みが出てきたり、表面に艶が出てきたり……という変化だ。この変化を、エイジングや経年変化と呼び、長年使い続けることで経年変化を楽しむことを「育てる」という。
革製品を使っていると、どこかにぶつけたり、自分の爪で引っ掻いたりして、うっかり傷をつけてしまうことがある。
自分の不注意で目立つ傷がついてしまうと、非常に落ち込む。
だが、革が育っていくと、あんなに目立っていた傷が不思議と目立たなくなる。傷痕が消えたわけではない。使うごとに傷は増えていくのだが、それも革の表情として馴染んでいくのだ。
調べてみると、それが革の特性であるらしい。使い始めは傷つきやすいが、経年変化を重ねていくごとに、傷痕が目立たなくなったり、自然に修復されたり、傷がつきにくくなったりという変化があるようだ。
そのような革に育てるには、手入れをしながら、長い時間をかけて使い込んでいくしかない。近道はないのである。革は正直な素材だ。
人にも、同じようなことが言えるのではないかと思う。
失敗をしたり、辛いことがあったりした直後は、後悔や悲しみ、怒りという傷がじくじくと痛み、その傷にばかり目がいってしまう。傷は日々増え続け、容易には消えない。しかし、時間が経つごとに、その傷痕が自分の一部となる。そうして、よりしなやかで強く、艶のある人物が育っていくのではないだろうか。
そうなるためには、ただ傷痕を放置していてはいけない。勉強や経験を積んだり、思考を深めたりすることで、自分を育てていくための手入れをこまめに続けていく必要があるのだろう。
なまなましい傷が目立つ今の私が、「育った」人物になれるのはいつのことだろうか。もしかしたら、そんな日は来ないかもしれない。しかし、そういう人物になりたいという憧れは捨てずにいたい。そして、できることならば、革の変化を楽しむように、その過程を楽しみたいものである。
豊石
新しい季節
2022-07-07
暑さに備える時間も与えてくれず、いつの間にか今年も蒸し暑い時期がやってきました。入社のために東京に引っ越してきて1か月が過ぎ、新しいまちにも大分慣れてきました。
いま住むまちは、まだ通勤に使う道とスーパーやコンビニへの道しか知りませんが、雨の時期にはあじさいがどこにでも咲いていて綺麗なところがお気に入りです。地元ではあまりあじさいを植えているところが多くなかったので、時間があるときには立ち止まってじっくり眺めてしまいます。白い花びらをつける種類があることや、花の咲き方も種類ごとにおそらく違いがあることなどは、いま住むまちにきて、あちこち歩き回ってみないと分からなかったことかもしれません。住み慣れたまちを離れて引っ越しをする利点は、こういうところではないかと思います。
これからの季節は、ひまわりを見られるようになることがなんといっても楽しみです。
去年までは、住んでいたアパートの近所にブルーベリー畑があり、そこにひまわりが咲いていました。なぜブルーベリー畑にひまわりが咲いているのか、正直ミスマッチなあの景色の原因はいまでも謎なのですが、人通りが少ない道路のほうを向いて咲く花を、ひとりじめして楽しんだことが大学生として過ごした夏の思い出でした。
今年はもうあのブルーベリー畑とはお別れしてしまいましたが、何かの方法でひまわりを楽しみたいと思います。せっかく社会人になりましたし、自分のお給料で花を買って部屋に飾って楽しむのも良さそうです。可能であれば、一面のひまわり畑にも行ってみたいと思います。
はじめての、仕事がある毎日には、まだ少し慣れる時間が必要なようです。変わっていく季節を楽しみにしながら、自分のペースで一日いちにちを過ごしていきたいと思います。
小川
「継続は力なり」
2022-04-04
学生の頃の約12年間通っていた、そろばん教室の学園長がよく言っていた言葉。先日、部屋の掃除をしていたら、大会で賞を取った時の写真が出てきて、ふと思い出した。
誰から言われるでもなく、ほぼ毎日教室に通い、家でも練習していたそろばん。練習という意識すらなかったようにも思える。褒められるのが嬉しく、なにより楽しい。自分で自分の成長を感じることができるし、ライバルと争うのも刺激的でモチベーションになる。だからこそ、続けることができたし、その成果として全国大会で優勝することもできた。当時は、ただやりたいことをやっていただけだったが、今思うと、まさにその“継続”が力になったのだと思う。
転職し、この御茶ノ水の地で働き始めて一か月。本当にあっという間、の一か月であった。数学が好き、教材を作るのが好き、子どもたちのためになる仕事がしたい、そんな思いが自分の中にある。もともと教員志望の私は、前職から教育業界で働いていたが、編集・制作はほぼ未経験。何もかもが初めてで、先輩方の原稿や校正を見ながら、何を、どう書くか、勉強、勉強。そんな毎日だが、時間が経つのがあっという間に感じる。大変だが、毎日楽しく、少しも苦ではない。そういう意味では、自分の中でそろばんとすごく似ていると思っている。
「継続は力なり」
この会社で、毎日楽しく仕事を“継続”して、これからも成長していけたらと思う。
熊公
笑顔があるかどうか
2021-12-06
入社して1か月が経ち,生活の中で慣れてきたことがいくつかあります。
1つ目は,転職に際し「心機一転!」と購入したパンプス。足に馴染んでこのパンプスで歩くことに慣れてきました。
2つ目は,早寝早起き。前職は午後から夜遅くまでの仕事であったため規則正しいとは言いにくい生活でしたが,今は日付が変わる前には寝て,朝日を浴びて目が覚める。なんとも健康的な生活です。
3つ目は,満員電車。田舎育ちの私にとっては乗車率が100%を超える電車は未知の体験でしたが,電車の中であれこれ物事を考える余裕くらいはできました。
さて,そんな私には,座右の銘といいますか,大事にしてきた言葉があります。
それは,“顔晴れ”。
“がんばれ”を当て字で言いかえた言葉です。もちろんこんな言葉はありません。
これは私が好きなアーティストの方が使っている言葉なのですが,その方は,「頑張れた! という言葉は自分が笑えたときに言うものだ」と友人から言われたことを受け,この漢字を使うようになったそうです。
最初,この言葉を知った際に,笑って“頑張った!”と言えたことはあっただろうかと,ふと考えました。そんなときに思い出した場面がありました。それは大学3年生の夏。自分が所属していたチームで参加した高知よさこいでの出来事です。
前年度に,高知よさこい本祭(高知よさこいには,本祭と全国大会というものがあり,本祭は2日間にわたって行われます)でありがたいことに賞をいただき,その年は,2年連続賞をいただけるかどうか重要な年でした。
今まで以上に壮大なコンセプトのもと,皆,練習にも熱が入っており,私自身の気持ちも高まっていました。
しかし,結果は残念ながら賞には届かず,最終日の夜は全員で涙を流しました。ただ,その涙は悔し涙ではなく,全員が全員,「頑張った! やり切った! 楽しかった!」という笑顔の涙でした。
このときの,「頑張った!」は間違いなく「顔晴った!」だったと思います。
すべての場面で満足のいく結果が得られることは難しいとは思いますが,できることならたとえそれが悔しい結果だったとしても「やり切った!」と最後には顔が晴れるように“顔晴りたい”。
ふと思い出した経験から,この言葉を大事にして,この1か月を過ごしています。
まだまだ未熟者ではありますが,教材を制作するというこの仕事が今は楽しくて仕方ありません。一歩一歩成長できるように“顔晴っていけたら!”そう考えています。
橙咲