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スタッフblog「季の風」

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食いしん坊の生きざま

2017-10-16
私は先日、虫を食べた。
タランチュラのような見た目のクモの素揚げだった。(写真を掲載したいのだが、総スカンを食いそうなのでやめておく)
脚は細かい毛がたくさん生えていて、ポリポリという触感。胴体は、中から液体があふれてくるのではないかという予想に反して、結構身がしっかりしていた。味は特になかった。
 
クモを食べることに抵抗感のなかった私だが「さすがにこれは食べられないかもしれない」と思ったものがある。
うじ虫を入れたチーズとか、孵化する直前の卵を使ったゆで卵などである。(いやはや、なかなか、どうして、世界は広い。)
うじ虫チーズは衛生的に心配(いや、本当は衛生的にも問題ないのかもしれないが)だから、どうしてもたじろいでしまう。
では、孵化直前の卵を使ったゆで卵に抵抗感を覚えるのはなぜだろう。私は普段、卵も鶏肉も食べるというのに――。
 
現代の日本で生きている私たちが「食べよう」と思えるものには、いくつかの条件があると思うのだが、その一つに、「痛そうでない」というのがあるように思う。
日常的に丸ごと食べる――たとえば魚は、私たちとは体の形が違いすぎて「痛そうではない」。(ちなみに、私が食べたクモも「痛そうではなかった」。)
一方、他の肉類は「痛そうな」場面が徹底的に隠されている。当然、牛や豚や鶏は殺されて、バラバラにされているのだが、私たちが普段見る肉塊に、そのような「いのちのなまぐささ」は感じない。
しかし、孵化直前の卵で作ったゆで卵は、当然ながら中身はほぼ雛で、「痛そう」なのだ。
 
人はいろいろなものを殺しているし、殺さなければ生きられない。
そして、おそらく、殺されることは、とてつもなく「痛い」。
私が孵化直前の卵で作ったゆで卵に抵抗感を覚えたのは、普段は忘れている「殺しているという事実」を思い出させられたからではないか。
私は、心穏やかに「殺している」ことを忘れていたいのだ。
それが、健全なことなのかは、私にはわからない。しかし、思い出したことは案外大切なことであるような気持ちもしている。
食べられるかどうかは、別の問題だが。
 
 
わたがしのやうな味かと尋ねけり 母と彼方の空を仰ぎて
 
瓜角
【参考】
『いのちの食べかた』(森達也著 理論社)
『うちは精肉店』(本橋成一著 農山漁村文化協会)

なぜ勉強するのか

2017-05-25
 教育現場にいたころ、「なぜ勉強するの?」「こんなこと勉強して将来何の役にたつの?」とよく聞かれた。勉強の難易度があがり、苦手な教科がはっきりしやすい中学生によく聞かれたと思う。
 
 このことに関して、ある中学3年生の男子生徒とのやりとりを今でも覚えている。彼の担当講師になってしばらくたったころ、こう聞かれた。「俺は将来美容師になりたい。美容師になるのに今やっている勉強が何の役にたつのか分からない。なんでこんなことを勉強しなければいけないのか。」そのとき勉強していたのは、彼が苦手としていた数学の一次関数だった。確かに一見美容師とは関係なさそうな分野である。苦手な分野に対して愚痴をもらすように聞いてきた質問だったのだが、だからこそ簡単に答えるわけにはいかなかった。少し時間をもらって次の授業のときに答えることにした。
 
 次の授業のとき、彼に自分なりに考えた二つの答えを話した。一つ目は「お客様の趣味に合わせたいろいろな話ができる美容師になるため」ということ。お客様にはいろいろな人がいて、好みもそれぞれ違う。その人に合わせた話ができるように、勉強して知識を広げておくことは大切だ、と話した。二つ目は「将来の選択肢を狭めないため」ということ。これからひょっとしたらなりたい職業が別に出てくるかもしれない。そのときに今勉強している知識が必要になることだってあるかもしれないから、将来の自分のために勉強しよう、と話した。
 
  もっといろいろと細かく話していたのだが、今思えば一つ目はやや屁理屈じみて、二つ目はややネガティブな回答だったような気がする。それでもそのときの彼は納得した様子で勉強し始めた。彼にはこの回答でよかったらしい。
 
 子どもと接しているときよく感じたのが、子どもは自分の質問に、丁寧に真剣に答えてくれることを、大人が思っている以上に大切にとらえている、ということだった。「なぜ勉強しなければいけないのか」という問いに対して、子どもが十人いれば求められる回答は十通りあり、大人が十人いれば出てくる回答も十通りある。その子どもの個性や置かれた状況に応じて、時には自分の体験も交えながら、誠意をもって答えてあげるのが大人の仕事の一つであると思う。最近はこの質問をされる機会はめっきりなくなったのだが、大人として自分の言葉で答えてあげられるように考え続けたいテーマである。

「なぜ?」の面白さ

2017-05-19
まず、私の教師時代、小学4年生だった児童から受けた質問を紹介したいと思います。
 
ここに16cmの紐が1本あります。まず、この紐を4等分にして正方形を作ります。できた正方形の面積は4×4=16(cm2)です。次に、同じ紐で縦3cm,横5cmの長方形を作ります。できた長方形の面積は3×5=15(cm2)です。 同じ長さの紐で四角形を作っているはずなのに、面積が違います。なぜでしょうか?
 


 

私はとても面白いと思いました。みなさんはどのように考えますか。
 
結果を言えば、形が違えば面積が違うというのは数学的に言えば当然です。 縦1cm、横7cmの長方形を作れば、面積は1×7=7(cm2)になりますし、面積を0(cm2)にすることもできます。二次関数の微分を使って証明もできますが、ここはそれが本題ではないので割愛します。
 
恐らくこの児童は、〝周長が同じ紐でどんな形を作っても、面積は同じになるのではないか〟と思い込んでいたのかもしれませんが、私が面白いと感じたのは、当たり前として受け止められる事実に、「なぜだろう?」と疑問を抱いたことです。
 
人は、心の中であらかじめ当たり前だと思ったことについては考えることをやめてしまいがちです。数学で例を挙げると「三角形の内角の和は180°である」などです。
 
これは、数学者ユークリッドが編纂した『原論』の中で既に証明されていたものですが、19世紀頃に生まれた〝非ユークリッド幾何学〟の球面幾何学で言うと、三角形の内角の和は180°より大きくなるのです。この球面幾何学の考え方は哲学の世界にも影響を与えて、「構造主義」の潮流が生まれました。
 


90°×3=270°

このように、当たり前だと思っていることに「なぜ?」を抱くことで、違う答えや知らなかった側面が見えてきて、それが他分野の発展につながったものが他にも多くあります。
「なぜ?」という疑問を出発地点として、今の文明社会が築かれたと言っても過言ではありませんね。

最後にもう一つだけ。1日が24時間なのはなぜでしょうね。恥ずかしながら、私は昔〝1日がもっと長ければいいのに〟などとよく思ったものです。

もちろん地球の自転速度により1日の時間が決められているのですが、技術が発達した現代で地球の自転速度を計ると、必ずしも一定の速度ではないことがわかりました。地球の自転の速度が一定ではないということは、1日の時間が増えたり減ったりズレが生じるということです。つまり、1日は正確に24時間ではないのです。国立天文台の計算によると、1990年頃の自転速度は遅く(1回転が24時間よりもわずかに長くかかる)、もしこのズレが1億8千万年続くと、1日の時間は25時間になるそうです。このことを知ったときは〝おお、1億8千万年後が羨ましい〟などと思ってしまいましたが、いろいろと大変なことになりますね。そこで、このズレが累積した際に人が意図的に時間を調整する必要があります。この調整を、〝うるう秒〟と呼びます。自転速度が遅い日が続いたときは1日の時間に1秒追加し、自転速度が速い日が続いたときは1日の時間から1秒減らします。今まで自分が知らなかったところで、時間でさえも人の手によってしっかり管理されていたのですね。うーん、驚きました。

小学生の疑問からちょっと壮大な話に膨らんでしまいましたが、既に解明されていることを調べること、未だ解明されていないものを考えようとすること――「なぜ?」を抱くことを出発点として、これからもいろいろなことを学んでいきたいものです。
浪子

漢字ドリルの配慮と、『うんこ漢字ドリル』の強みについて

2017-05-08
――のひらがなを、漢字に直しましょう。
 ⑴ 雨がふらないか心ぱいだ。……答えは「」。
 ⑵ 春の気はいを感じる。……………答えは「」。
 ⑶ 二人で物を運ぶ。…………………答えは「」。
 
漢字ドリルには、上記のように「文の中に出てくる漢字を読み書きさせる設問」があります。
この出題文。何気ないように見えますが、実は児童が戸惑いなく取り組めるような配慮をしています。
 
例えば、児童が行動の中心人物になっている文かどうかの配慮。
「荷(に)」を答えさせる「荷物」の出題文が「荷物をとどける。」だとしたら、届ける人(=主語)は宅配業者であり、児童にとって身近な内容にはなりません。
荷物がとどく。」としても、未成年の児童が荷物を注文する状況が現実的にあるだろうか……と、出題文が妥当かどうか考えてしまいます。
荷物を運ぶ。」ならば児童も体験したことがあるだろう、と配慮して出題します。
 
また、前向きな、もしくは深刻ではない内容になっている文かどうかの配慮もしています。
「配(はい)」を答えさせるときの「心配」という言葉は、後ろ向きな状況で使われることが多いです。
テストでよい点が取れるか心配だ。」「帰りがおそいのを心配する。」……このような文では、児童は前向きな気持ちで漢字を覚えることができません。
そのために、「雨の心配をする。」のような深刻ではない内容にするか、「気配」などの別な言葉で出題するように配慮しています。
 
ここまで、漢字ドリル出題文の配慮について書きました。
この他にも配慮の観点はあるのですが、1つ1つに気をつけながら作成していることを知っていただけるとうれしいです。
 
***
 
そして、ここからが本題です……。
漢字ドリルは配慮を積み重ねて出題文を作成しますが、配慮することで悩みも出てきます。
それは、「配慮しきれない言葉は、問題としてなかなか出題できない」ということ。
 
「配」には、「心配」「気配」「配達」「配送」「手配」など、さまざまな言葉があります。
ですが、漢字ドリルで文として登場するのは、「心配」「気配」「配達」など限られた言葉のみです。
特に「手配」は日常でよく見る言葉であるのに、出題文として登場することはほとんどないです。
おそらく「手配」が使われないのは、「手配」を使って児童が行動の中心となる文が作れないからだろうと考えます。
 
「荷」でも、「荷物」「荷づくり」「荷台」などは文として出題されますが、「重荷」は見かけません。
「重荷」はネガティブな意味をもつ言葉なので、それを振り払えるだけの文が作れないからだろうと想像します。
 
配慮しきれずに出題できないような言葉を、児童に身につけてもらうにはどうすればいいのだろう……。
そう考えていたところ、文響社さまより、『うんこ漢字ドリル』のお仕事のご依頼をいただきました。
 
弊社では「漢字学習アドバイザー」として、『うんこ漢字ドリル』での読み書きの出題文などが漢字学習として適しているかどうかを確認しました。
出題文の内容自体はとてもユニークなのですが、出題となる言葉の使い方は真っ当であり、漢字を覚えながら言葉を身につけることができると思います。
 
何より、通常の漢字ドリルでは出しづらい言葉を出せるところがすごい!
うんこを二百こ手配してください。」という文は、現実感がなさすぎるので、児童が行動の中心かどうかなんていう観点を吹き飛ばします。
かれは、うんこ委員に選ばれたことを重荷に感じている。」という文は、「重荷」というネガティブな言葉を扱っているのに、児童がつらい気持ちにならないだろうかなんていう不安を抱かせません。
「うんこ」という言葉があることで、児童にとって身近であるという気持ちが高くなるのでしょうね。
 
もちろん、『うんこ漢字ドリル』は楽しみながら漢字を学習したいという児童のためには最適の本だと思います。
さらには、通常の漢字ドリルで学びつつ、もっと使える言葉を広げたい、語彙を充実させたいと考えている児童にとっても、通常の漢字ドリルでは出題できないような言葉も収録されている『うんこ漢字ドリル』はオススメできるなあと感じています。
児童が漢字学習からさまざまな言葉を身につけ、実生活で使えるようになるといいですね。
寒海

出藍の誉れ

2017-04-27
 私は以前、ある中高一貫校で教員をしていて、ある運動部の顧問をしていた。そのときの教え子から先日連絡があった。
「今度の大会が高校最後かもしれないんです。先生、見に来てください」
 競技経験のない私の指導は実際見よう見まね以上のものではなかったが、彼らは持ち前の純粋さで、私の浅はかな教え以上のものを自ら学習し、どんどん上達していった。それが、5年前の話だ。
 
 高校3年生になった彼らは、背が伸び、顔がいくらか大人びて、声変わりをして、頼りがいのある「先輩」になっていた。
 ルールも道具の使い方も知らず、しかるとすぐに泣いていた少年・少女は、もう大人になろうとしていて、希望と闘志にあふれた顔はとても凛々しかった。
 私に「〇〇大学を志望している」とか「将来は△△になりたい」とか、そういうことを嬉々として語る彼らが、私はひたすら誇らしかった。
 
 卒業生も数名応援に来ていた。今大学に通っているという。高校の頃は校則で禁止されていたパーマや染髪を施し、いかにも大学生という風体になった彼らもまた、希望と向上心で胸を膨らませた立派な好青年になっていた。
 
 子供の成長にはいつも目を見張る。私が彼らにしてあげたことなどないに等しいが、彼らは大人の予測を超えるスピードで、大人の予測を超える高みへと登っていく。それは、とてもすがすがしいことだ。
「出藍の誉れ」という言葉がある。弟子が師匠を超えることをいう。私はずっと、この「誉れ」は弟子の誉れなのだと思っていた。しかし、違うだろう。この「誉れ」はきっと師匠の誉れだ。
 
 この大会で、ある者は途中で敗退し、ある者は県大会出場を決めた。
 実力の世界だ。努力が実らなくても仕方ない。しかし、自分を信じて努力する姿は、美しくさえあった。
 
 あと2年で彼らも二十歳になる。そしたら、酒か飯でもおごってやろうと思っている。
 
  勇み行く君の背を見て奮い立つ まだまだ負けるつもりなどない
瓜角
株式会社あいげん社
〒101-0062
東京都千代田区神田駿河台3-3-5
小林ビル3F
TEL.03-5280-7197
FAX.03-5280-6020
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