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スタッフblog「季の風」

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夏の匂い

2016-08-03
ものぐさな母は空になったジュースのペットボトルを麦茶の容器として使っていた。だから、私にとって、麦茶はオレンジジュースやスポーツドリンクや炭酸飲料の匂いがするものだった。
本物の麦茶を知っている今となっては、その複雑な風味が本来のものとは違うのだとわかるけれども、子供の頃の私にとっては、あれこそが麦茶だったから、おいしいもおいしくないもない。
プールや海で遊んだ後にふやけた指を気にしながらがぶ飲みした夏の思い出は、そんな匂いとともにある。

潮の匂い、塩素の匂い、夕立の土の匂い、花火の火薬の匂い、蚊取線香の匂い。――そういうものがいちいち思い出と結びついていて、夏という季節は暑いくせに嫌いになれない。
海、すいか、ラムネ、入道雲、日焼け跡。 神社、木陰、蝉時雨、とうもろこし、肝試し。祖母が畑で育てたすいかはあまりおいしくなかったし、たかが小学生の演じるおばけは怖がりの私でも怖くなかったが、大叔父が捕まえて持ってきてくれるカブトムシは最高に格好良かったし、隣家の庭で行われるバーベキューは子供の私には夏の一大イベントだった。
夏の記憶は匂いとともに思い出す。しかし、匂いを言葉では伝えられない。
相手が同じ匂いを想起できるかどうかは、相手の経験次第だ。
逆も然り、相手の言葉や文章をどこまで理解できるかは、もちろん、基本的な読解能力は前提となるが、自分の経験によるところが大きい。
「学校では教えてくれない大切なこと」という食傷気味の台詞が意味しているところはこういうことではないだろうか。

自分の経験の豊かさによって、相手をどれだけ深く理解できるかが左右される。それは、もしかしたら「優しさ」とも関係しているかもしれない。
匂いの記憶のバリエーションがその人の優しさだといったら、いい過ぎだと笑われるだろうか。
浴衣着てラムネを上手に飲む父が誰よりすごい人だった夜
瓜角

しちがつの備忘録

2016-07-20
「七月(しちがつ)」を「ヒチガツ」だと思っていたのはいつまでだったかと考えてみると、案外思い出せない。
最近まで勘違いしていたような気もするし、「七」という漢字を習った小学一年のときには既に知っていたような気もする。
「みあげ」とタイプして、「土産」と変換されないことに腹を立て、「このポンコツPC!」と憤っていたのは、今思い出しても恥ずかしい。

小中学生向けの教材を編集・校正していると、ときどき思いも寄らないことを忘れていたことに気づく。「八つ」か「八っつ」か。「損なう」か「損う」か。
――挙げればきりがないが、確実に学校で習ったはずのことを、私たちは往々にして忘れている。
確かに、「しちがつ」か「ひちがつ」かわからなくても「7月」とタイプしてしまえば悩む必要はないし、「損なう」でも「損う」でも、私たちは読むことができる。
しかし、底抜けに正しかった頃の景色を忘れることは寂しいことだ。
だから、これは備忘録だ。忘れても差し障りはないけれど、忘れると寂しいことを取っておくための場所。
そういうスペースをどこかに作ろうと思った。
そこにしまわれるのは、国語(日本語)のことであるかもしれないし、会社での一場面、日々の雑感でもあることだろう。
教材の編集・校正という私たちの仕事は、忘却に直面する仕事だ。忘れていたということを思い出してしまう。
だから、せっかく思い出したことをもう一度ここに記していこうと思う。ふるさとに沈む夕日の写真を丁寧に撮り直すように。

――こんなことを書くと、いかにも後ろ向きで陰気なことを始めるものだと呆れられるかもしれない。しかし、そもそも過去の助動詞「けり」で詠嘆し、「See you!」「再見!」「Au revoir!」ではなく 「さようなら」とわざわざ昔を振り返りながら別れてきた私たちには、こういう備忘録を素敵だと思う素養が備わっていると思うのだが、いかがだろうか。
友達と海で遊んだ帰り、「ベタベタ」と「ヒリヒリ」を携えて、サドルがぬれないようにお尻を浮かせて自転車を漕いだ――あの日の夕日は、 忘れるにはあまりに美しすぎないだろうか。
そうめんを食べたら腕の皮をむく 脱皮みたいでかっこよかった
瓜角
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