心に残る名文
第23回 いろは和歌【り】 良寛・貞心尼「霊山の」『蓮の露』より
2018-06-27
いろは和歌シリーズ、今回は「り」で始まる和歌を紹介します。
いざさらば立かへらむといふに
霊 山 の 釈 迦 のみ前に契りてしことな忘れそ世はへだつとも
御かへし
霊山の釈迦のみ前にちぎりてしことは忘れじ世は 隔 つとも
(「 蓮 の露」より『校注良 寛 全歌集』春秋社)
それでは帰りましょう、と言うので
霊山の釈迦の御前で約束したことを忘れないでください、世を隔てたとしても
お返し
霊山の釈迦の御前で約束したことは忘れません、世を隔てたとしても
一首目は良寛の、返歌は 貞 心 尼 の作です。
“良寛さま”のお話を聞いたことのある方は多いのではないでしょうか。「この里に手まりつきつつ子供らと遊ぶ春日は暮れずともよし」(『校註良寛歌集』岩波書店)という有名な和歌は、子どもたちと遊ぶのが好きだった良寛の人柄を表しています。
貞心尼は30歳のとき、初めて良寛の住まいを訪れたといわれています。良寛はそのとき70歳でした。二人の親交は、良寛が74歳で没するまで続きました。
貞心尼が編んだ歌集『蓮の露』には、良寛と貞心尼の歌のやりとりが多く収録されています。
「霊山」はインドにある 霊 鷲 山 という聖なる山で、そこで釈迦が仏教の教えを説き、集まった人々はその教えを世に広めることを約束したという逸話があります。
また、この良寛の和歌は、 飛鳥 時代の僧侶である 行 基 の「霊山の釈迦のみ前に契りてし真如くちせず逢ひ見つるかな」(「拾遺集」より 『校注 良寛全歌集』春秋社)という和歌を念頭に読まれたと考えられます。霊山の釈迦の御前での約束がやぶられることなく、また会うことができたなあ、という内容です。
「それでは帰りましょう」と言ったのは、良寛のもとを訪れていた貞心尼。
「世」は前世・現世・来世の三世を意味しています。仏の教えを伝え、次の世で再び会いましょうという前世での約束を、忘れないでください、忘れません、というやりとりです。
しばしの別れを惜しむ場面で交わされたこの唱和には、同じ時間を現実に共有した者どうしにだけ通う空気が漂います。互いに信頼し合い高め合う交わりの得難さが思われます。
福井