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心に残る名文

第15回 寺田寅彦「天災は忘れられた頃に来る」

2017-03-30
平成23(2011)年3月11日、東日本大震災が発生しました。
千年に一度あるかないかの大震災と津波であったことを知った驚きと、東北地方の被害の甚大さにただただ言葉を失うばかりでした。
「大きな地震は、思い出したように、忘れた頃にやってくるのだ。『天災は忘れられた頃に来る』と言われているのだから、備えが大切だ」と、子どもの頃によく言われたものです。にもかかわらず、未だに備えも心構えも満足にできていないのが現状です。
この『天災は忘れられた頃に来る』という言葉は、物理学者であり随筆家でもある寺田寅彦(明治11(1878)年~昭和10(1935)年)が、弟子たちに常々言っていた言葉だと言われています。
ここであらためて、地震についての名文を確認し、気持ちを引き締めたいと思います。

 昭和八年三月三日の早朝に、東北日本の太平洋岸に津浪が襲来して、沿岸の小都市村落を片端から薙ぎ倒し洗い流し、そうして多数の人命と多額の財物を奪い去った。明治二十九年六月十五日の同地方に起こったいわゆる「三陸大津浪」とほぼ同様な自然現象が、約満三十七年後の今日再び繰り返されたのである。
 同じような現象は、歴史に残っているだけでも、過去において何遍となく繰り返されている。歴史に記録されていないものがおそらくそれ以上に多数にあったであろうと思われる。現在の地震学上から判断される限り、同じ事は未来においても何度となく繰り返されるであろうということである。
 こんなに度々繰り返される自然現象ならば、当該地方の住民は、とうの昔に何かしら相当な対策を考えてこれに備え、災害を未然に防ぐことが出来ていてもよさそうに思われる。これは、この際誰しもそう思うことであろうが、それが実際はなかなかそうならないというのがこの人間界の人間的自然現象であるように見える。
(『寺田寅彦全集 第七巻』「津浪と人間」岩波書店)
※昭和8(1933)年3月3日、昭和三陸地震。
※明治29(1896)年6月15日、明治三陸地震。


天災は、記憶の新たなうちにやって来るのではなく、忘れられた頃に来るのだから、人間は過去の記録を忘れないように努力するよりほかはないと、寺田は言っています。また、文明が進むほど天災による損害の程度も累進する傾向にあるとも言っています。日本のように地震の絶えない国においては、文明の進化と同時に、耐震の技術も進化していかなければならないということなのでしょうが、現実には非常に難しいことなのでしょうね。
個人においては、さらにできることは限られています。せめて、慌てない、落ち着いて行動する、その気持ちを忘れないようにしたいと思います。

寺田寅彦は、東京帝国大物理大学実験物理学科を首席で卒業。その後大学院を経て物理学者になり、東京帝国大学地震研究所にも所属し、大正12(1923)年の関東大震災の調査にもあたっています。
そういう傍ら文筆活動も盛んに行い、数多くの随筆を残していることでも著名です。熊本第五高等学校で、夏目漱石に英語と俳句を習い、漱石の晩年まで親交が続きました。また、『吾輩は猫である』の水島寒月や『三四郎』の野々宮宗八のモデルとされているので、今後読む機会がありましたら、寺田寅彦を意識しながら読んでみるのも一興かと思います。
清すがし女め
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