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スタッフblog「季の風」

お年玉追想

2019-01-16
 私はこの歳にもかかわらず、今まで5人の子供たちにお年玉をあげてきた。この5人、親戚でもなんでもない、ただの近所の子だ。
 私の生まれ育った地域には、今なおかなり濃密な近所づきあいがある。だから、私は今でも実家に帰れば、隣の家に裏口から入って、何食わぬ顔で冷蔵庫を開けることができる。「できる」というか、だいたいいつもそんな感じだ。
 子供の頃には、当然隣のおじさん・おばさんから毎年お年玉をもらっていた。おじさん・おばさんの息子・娘からももらっていた。隣の家の親戚のおじさん・おばさんからもお年玉をもらっていた。正月に隣の家に行けば、かなりの金額が稼げたのだ!
 
 当時はしめしめと思っていたが、今では逆の現象が起こっている。隣の家の孫たちである!
 お年玉とは、大人にとってなんてシビアなシステムであることか……。
 いちばん苦しかったのは3年前。高校生が3人、中学生が1人、小学生が1人という状況だった。
「高校生に英世1人だけというのは、ケチすぎるよな……」
などと考えながら、何人の英世を旅立たせるか苦悩したものだ。
 
 田舎の人間関係というのは、都会で生まれ育った人には、濃すぎるかもしれない。距離も近いし、プライバシーという意識にも乏しい。何かあればすぐに隣近所に知れ渡ってしまう。基本的には古い考えがはびこっているし、一度人間関係がこじれると修復はかなり難しい。窮屈だと感じることも、ある。
 しかし、人間関係が「面倒くさい」分、私はたくさんの大人に愛されてきた。町じゅうの人にかわいがってもらった。土日も仕事で不在がちだった父よりも、隣のおじさん・おばさんから受けた影響のほうがはるかに大きい。
 
 都会で生まれ育った人と話していると、ときどき「上手に距離をとられている」と感じることがある。こちらは握手をしようと手を伸ばしているのに、相手は笑顔のまま決して手を握ってくれない――みたいな感覚だ。
 生き方上手、というと皮肉に思われるかもしれないが、実際彼らは上手だ。巧みに人間関係を「選んで」いる。自分のテリトリーを侵さない人を選んで、互いに傷つかないように付き合う。嫌な関係は「切る」。上手なのだが、田舎者の私には少し寂しい。私にとって、人間関係は「選ぶ」ものではなく、「巻き込まれる」ものだからだ。巻き込まれて、良いことも悪いことも共有させられ、そのうち「好きになるのも嫌いになるのももう遅い」みたいな関係が生まれる、それが人間関係だと思っている。
 上京して十数年、都会の人間関係に、私はまだ慣れていない気がする。
 
  角ばった餅しか売らない街に住み僕だけが正月を迎える
瓜角
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