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スタッフblog「季の風」

美しい字

2016-12-27
今年の漢字は「金」らしい。
その如何について云々するつもりはないが、私は「金」という字が苦手だ。いや、moneyもgoldも結構好きなのだが、「金」という漢字は上手に書けないから、あまり好きではない。
 そういう字がいくつかある。難しい字ではないのだが、上手に書けない。私の場合、「事」、「区」、「を」、「く」あたりは、どうも納得のいく字が書けない。
 逆に、特に練習したわけでもないのに、いい具合に書ける字もある。私の「解」と「ら」はなかなかのものだと自負している。
 
 昔から字を書くことは好きだった。というよりも、漢字が好きだった。漢字辞典を眺めながら、友人が読めなさそうな漢字や熟字訓を探すのが好きだった。学校で友人に出題するために字形を覚えた。「顰蹙(ひんしゅく)」を書けるようになったときは、かなり興奮した。
 嫌な子供だったと我ながら思うところだが、漢字辞典を愛読書にしていたおかげか、字を褒められることはしばしばあった。得したこともある。損したことは、学生時代に友人から「今日までに提出するように言われていたプリントを親に見せるのを忘れたから、親の代わりに署名してくれ」とよく悪事の片棒を担がされそうになっていたことくらいだろうか。
 
 美しい字を書くことが美徳である国が世界にどれほどあるかは知らないが、私は悪くない文化だと思っている。
 字を書くのが苦手な人からしたら、人格や努力とは無関係なところで自分が断定されてしまう制度は不条理であるに違いないし、私も字の(丁寧さではなく)美醜でその人を判断することはやりすぎだと思うのだが、美しい字自体というよりも美しい字を書こうとすることには、それなりの意義があると思うのだ。
 美しい字を書こうとする意識は、最も日常的な能動的純粋さだと思う。字を丁寧に書こうとするとき、私たちは、山積している仕事だとか溜まった洗濯物だとかそろそろ牛乳の賞味期限が切れることだとか、そういう重大な雑事を頭の中から一旦自ら捨て去って字に向かう。あらゆることをシャットアウトして、今書こうとする字のハネのことを全力で考える。その時間はきっと、いちばん簡単な純粋さを含んでいる。
 例えば、同じ純粋な時間でも、読書だといつもうまく雑事を忘れられるとは限らない。忙しければ忙しいほど、読書の純粋さは私をさらってくれない。一行読むたびに思考は小説の中から明日の仕事のことへ飛び立ってしまい、上手に読書できない自分に嫌気が差してくる。読書には私事をはぎ取ってくれるほどの強制力はない。
 しかし美しい字を書こうとすることは、自ら私事を捨て去ることだから、強制力が云々ではない。場合によっては読書よりも簡単に、頭をさっぱりすることができるのだ。
 どんどん加速していく現代的時間の中で、自ら純粋になるこういう一瞬が、本当はかなりの人に必要なのではないかと思っている。
 
  君ってさ案外かわいい字なんだね 意外というかなんだかウケる
瓜角
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