心に残る名文
第11回 いろは和歌【に】 額田王「熟田津に」『万葉集』より
2017-02-07
いろは和歌シリーズ、今回は「に」で始まる和歌を紹介します。
熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな
(『新編日本古典文学全集6 萬葉集①』小学館)
熟田津で船出をしようとして月の出を待っていると、潮も満ちてきた。さあ、今こそ漕ぎ出そう。
万葉を代表する歌人、額田王の作品です。額田王の和歌は教科書などでよく取り上げられているので、聞いたことのある人が多いのではないでしょうか。
斉明七(661)年正月、中大兄皇子(後の天智天皇)の軍が、唐・新羅の連合軍と戦う百済を援護するために、飛鳥から北九州へ向かいました。この歌は、その途中で伊予(愛媛県)の熟田津という土地に立ち寄ったときに詠まれたと考えられています。
そろって船出を待つ大勢の軍。月が出て潮が満ち、いざ出航という場面です。声に出して読んでみると、歌の言葉に込められた戦勝への祈り、いざ進まんという力強い意志を感じます。
天皇に仕え、神事に携わり、職業的な歌人でもあったといわれる額田王。この和歌は、斉明天皇の歌として額田王が代作したものだという説もあります。
ところで、私が初めてこの和歌に触れたのは、『万葉集』でも教科書でもなく、井上靖の小説『額田女王』の一場面でのことでした。額田王は中大兄皇子と大海人皇子(天武天皇)の兄弟二人から愛されたといわれています。小説では、神に仕える者として、女性として、さまざまな思いを込めて歌を詠む額田王の姿が非常に魅力的に描かれています。「熟田津に……」の和歌が詠まれる場面も印象的。こちらもぜひ読んでみてください。
福井