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心に残る名文

第7回 芥川龍之介『大川の水』1914(大正3)年

2016-12-06
 本年も早いもので師走となり、残すところわずかとなりました。2016年は、小説『鼻』が『新思潮』に「芥川龍之介」の署名で掲載されてから百年目という記念すべき年でした。今回は、この芥川の随筆をご紹介したいと思います。
 芥川は、現在の東京都墨田区両国の大川―隅田川の吾妻橋から下流部の通称―の近くで育ちました。幼年時代、毎日のように目にする風景に大川があったわけです。「自分はどうして、かうもあの川を愛するのか。」――大川への愛を記した文章が『大川の水』です。
 

(略)自分を魅するものは独り大川の水の響ばかりではない。自分にとつては、この川の水の光がほとんど、何処にも見出し難い、なめらかさと暖さとを持つてゐるやうに思はれるのである。
 海の水は、たとへば碧玉ヂヤスパアの色のやうに余りに重く緑をこらしてゐる。と云つて潮の満干を全く感じない上流の川の水は、云はゞ緑柱石エメラルドの色のやうに、余りに軽く、余りに薄つぺらに光りすぎる。ただ淡水と潮水とが交錯する平原の大河の水は、ひややかな青に、濁つた黄の暖みを交へて、何処となく人間化ヒユーマナイズされた、親しさと、人間らしい意味において、ライフライクな、なつかしさがあるやうに思はれる。殊に大川は、あかちやけた粘土の多い関東平野を行きつくして、「東京」と云ふ大都会を静に流れてゐるだけに、その濁つて、皺をよせて、気むづかしい猶太ユダヤろうのやうに、ぶつぶつ口小言を云ふ水の色が、如何にも落付いた、人なつかしい、手ざはりのいゝ感じを持つてゐる。さうして、同じく市の中を流れるにしても、なほ「海」と云ふ大きな神秘と絶えず、直接の交通を続けてゐる為か、川と川とをつなぐ堀割の水のやうに暗くない。眠つてゐない。何処となく、生きて動いてゐると云ふ気がする。しかも其動いてゆく先は、無始無終にわたる「永遠」の不可思議だと云ふ気がする。
(『芥川龍之介全集 第一巻』岩波書店)
※旧字体は新字体に改めた。
 

 
 一読してみていかがでしょうか。巧みな情景描写と比喩表現を味わっていただけたでしょうか。若干22歳の若者が書いたと思うと、その溢れ出る才能に胸が高鳴ります。
 海や上流の川の水を、宝石という一般から離れたものにたとえることで、大川の水の親しみやすさや人間らしさを強調しています。宝石のような澄んだ美しさはなく、むしろ濁ってすらいるけれども、その濁りこそが生活感を感じさせ、暖かいといっているのです。また、猶太の老爺の比喩表現は、一際優れていて、目前にその様子が浮かんでくるようです。
 芥川の大川への愛は、引用部にとどまりません。「どうして、かうもあの川を愛するのか。」是非その理由を、全文読んでみてください。
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