スタッフblog「季の風」
お年玉の伝統的な金額について
2017-12-07
私の実家では、年越しまえに家族総出でもちを作る。
朝早く起きて、もち米を蒸しているあいだに、部屋の床にブルーシートを敷いて、作業台を置き、片栗粉を振っておく。
ミキサーみたいな刃がついたボウルを箱に埋め込んだような「電動もち製造マシン」に蒸したもち米を投入してもちにしていく。
できたもちは祖父が大胆にも手づかみで持ちあげて、作業台の上に置く(というか放り投げる)。冷めて硬くなる前に、祖母と母がやけど覚悟で熱いもちを食べやすいサイズにちぎっていく。そのもちをきれいに整形するのが私たち子供の役目だ。(私の地域は丸もちだ!)
今の私にとっては立派な年の瀬の光景なのだが、子供の頃はどうも趣に欠けるような気がしていて、臼と杵を使おうと毎年のように提案していた。
実は、倉庫の奥には立派な臼と杵が鎮座していて、見事な埃をたたえていたのだ。地域のイベントなどで引っ張り出すことはあっても、家族で使ったことはない。
私は学校で習ったとおりの「伝統的な年越し・正月」をしてみたかったのだろうと思う。
ぺったんぺったん外でもちをつき、除夜の鐘を聞きながら年越しそばを食べて、着物を着て初詣に行って、雑煮と重箱に入ったおせち料理を食べ、書初めをして、羽子板と凧揚げで遊び――。
しかし実際のところ、重箱に入ったおせち料理など食べたことがないし、書初めも羽子板もしたことがない。凧揚げはすぐに飽きてしまった。
まあ、そんなものだろう。
程度の差こそあれ、教科書どおりの年中行事を完璧にこなしている家庭などほとんどないだろうし、それでいいのだと思う。
「伝統」をないがしろにするつもりはないが、「伝統」が醸成された環境と今の生活環境は全く違う。羽子板や凧揚げなど都会ではする場所がないし、三が日に女性が休むために保存のきくものを詰め込んだものがおせち料理なら、買うなり外食するなり、もっと簡単に休む方法はいくらでもある。
「伝統」を守ることに無理をしないことが大切なのだと思う。「電動もち製造マシン」はそれを象徴していたような気がする。
(お年玉も無理をしない程度に、一人500円くらいでいいのだ……子供たちに嫌われてもいいのなら)
子供らよ! サンタクロースが来るのだしお年玉などいらないだろう?
瓜角