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心に残る名文

 
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第1回 夏目漱石『硝子戸の中』1915(大正4)年
2016-09-01
 漱石は、伝記的なことをほとんど書いていません。50歳足らずのの若さで他界しましたので、書いている余裕がなかったのかもしれません。亡くなったのは、1916年ですから、2016年は没後100年という記念すべき年です。

 『硝子戸のうち』は自伝ではありませんが、自分の過去と現在を入り交えて書いためずらしいエッセイです。風邪をひいて書斎に閉じこもり、部屋の中から硝子戸を通して、外を眺めつつ書き綴ったものというところから、このタイトルがついたようです。

 今回紹介するのは、若いころに住んでいた馬場下界隈のことを記した箇所です。馬場下というのは、高田の馬場の下という意味で、当時東京では「辺鄙な隅の方にあった」ところだそうです。

 



 当時私の家からまず町らしい町へ出ようとするには、どうしても人家のない茶畠とか、竹藪とかまたは長い田圃路とかを通り抜けなければならなかった。買物らしい買物は大抵神楽坂(かぐらざか)まで出る例になっていたので、そうした必要に馴らされた私に、さした苦痛のあるはずもなかったが、それでも矢来(やらい)の坂を上(あが)って酒井様の火の見櫓(やぐら)を通り越して寺町へ出ようという、あの五、六町の一筋道などになると、昼でも陰森(いんしん)として、大空が曇ったように始終薄暗かった。

 あの土手の上に二抱(ふたかかえ)も三抱もあろうという大木が、何本となく並んで、その隙間々々をまた大きな竹藪が塞いでいたのだから、日の目を拝む時間といったら、一日のうちに恐らくただの一刻もなかったのだろう。下町へ行こうと思って、日和下駄(ひよりげた)などを穿(は)いて出ようものなら、きっと非道(ひど)い目にあうに極(きま)っていた。あすこの霜融(しもどけ)は雨よりも雪よりも恐ろしいもののように私の頭に染み込んでいる。
 その位不便な所でも火事の虞(おそれ)はあったものと見えて、やっぱり町の曲り角に高い梯子(はしご)が立っていた。そうしてその上に古い半鐘も型の如く釣るしてあった。私はこうしたありのままの昔をよく思い出す。その半鐘のすぐ下にあった小さな一膳飯屋もおのずと眼先に浮かんで来る。縄暖簾(なわのれん)の隙間からあたたかそうな煮〆(にしめ)の香(におい)が煙(けぶり)と共に往来へ流れ出して、それが夕暮の靄(もや)に融(と)け込んで行く趣(おもむき)なども忘れる事が出来ない。私が子規(しき)のまだ生きているうちに、「半鐘と並んで高き冬木哉(ふゆきかな)」という句を作ったのは、実はこの半鐘の記念のためであった。
(夏目漱石『硝子戸の中』岩波文庫 カッコ内のルビは引用者による。)

 


 
 煮〆の香が夕暮れの靄に融け込んで行く様子は、しみじみとした風情があっていいですね。

 また、半鐘の記念のための句は、正岡子規がまだ生きていたときに作ったものだといいます。馬場下界隈を思い出しながら、親友であった子規にも思いを馳せているところは、この一節の結びに花を添えているように思います。

 すが

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